江戸時代は、1603年に徳川家康が江戸幕府を開いてから、黒船来航や幕末を経て終わるまで、約260年以上続いた長い時代です。
そのため、改革が何度も行われたり、さまざまな文化が登場したりするほか、多くの人物や経済・社会の変化も出てくるため、「ごちゃごちゃして覚えにくい」と感じる人も多いでしょう。
特に中学歴史では、
- 鎖国
- 元禄文化
- 綱吉
- 三大改革
- 化政文化
- 黒船
など、多くの重要語句が次々に登場するため、「結局どういう流れなの?」と混乱しやすい時代でもあります。
そこでこの記事では、小学生や中学生でも江戸時代全体を俯瞰できるように、江戸時代の流れを重視して整理しています。
江戸時代は細かく見ると非常に範囲が広いですが、
- ① 幕府を固める時代
- ② 経済と都市が発展する時代
- ③ 社会のゆがみが広がる時代
- ④ 江戸幕府がゆらぐ時代
という4つのブロックで考えると、かなり整理しやすくなります。
さらに、黒船来航以降の「幕末」とのつながりを意識すると、「なぜ江戸幕府が弱っていったのか」も理解しやすくなります。
この記事では、まず序章で江戸時代全体の流れを図解で確認し、そのあと第1章〜第4章で歴史の流れに沿って解説していきます。
まずは、次の図解で江戸時代全体のイメージをつかみましょう。

序章 江戸時代の全体の流れ
江戸時代は、1603年に徳川家康が江戸幕府を開いてから、1867年に大政奉還が行われるまでの約260年以上続いた時代です。
しかし江戸時代は期間が長いため、
- 改革がたくさん出てくる
- 文化が何種類もある
- 人物が多い
- 経済や社会の変化も大きい
など、「ごちゃごちゃして覚えにくい」と感じる人も多いでしょう。
「鎌倉時代くらいシンプルならよかったのに……」
と思うかもしれません。
ですが、実は歴史の流れはどの時代も大きくは同じです。
これまでの時代の流れを見てみましょう。
律令国家
成立 → 発展 → 崩れ → 武士の台頭
鎌倉幕府
成立 → 執権政治 → 元寇 → 衰退
室町幕府
成立 → 義満の全盛 → 応仁の乱 → 戦国時代
では、江戸時代だけ特別に複雑なのでしょうか?
いいえ。
江戸時代も、大きな流れで見ると同じ構造になっています。
江戸幕府
安定 → 経済発展 → 社会の変化 → 幕末
もちろん、実際にはもっと細かい変化があります。
この記事では、江戸時代を次の4つのブロックに分けて整理していきます。
江戸時代の重要論点集
① 幕府を固める時代(1603年〜1600年代後半)
【江戸幕府の成立】
- 1603年 徳川家康が征夷大将軍になる
- 江戸幕府成立
- 幕藩体制(幕府+藩)のしくみが作られる
【大名の統制】
- 武家諸法度
- 参勤交代(1635年ごろ制度化)
- 親藩・譜代・外様
【身分制度と人々の暮らし】
- 士農工商
- 武士中心の社会
- 農民は年貢を負担
- 城下町が発展
【鎖国】
- 朱印船貿易
- 家康のキリスト教禁止令
- 島原・天草一揆
- 1635年 日本人の海外渡航と帰国を禁止
- 1639年 ポルトガル船の来航禁止
- 1641年 長崎の出島にオランダ商館を移す
- オランダ・中国との貿易
- 朝鮮通信使
- 琉球王国・アイヌ民族との交流
- 鎖国体制の完成
→ 江戸幕府は「大名統制」と「鎖国」によって全国支配を安定させた。
② 経済と都市が発展する時代(1600年代後半〜1700年代)
【農業・諸産業の発達】
- 新田開発
- 農具の改良(千歯こき・唐箕など)
- 商品作物の栽培
- 問屋制家内工業
【交通の発達】
- 五街道の整備
- 参勤交代による交通網の発展
- 宿場町の発展
- 菱垣廻船・樽廻船
【都市の発展と町人の台頭】
- 江戸・大坂・京都の三都
- 貨幣経済の発展
- 株仲間
- 商人の力が成長
【元禄文化(1700年前後)】
- 町人文化が栄える
- 井原西鶴
- 松尾芭蕉
- 近松門左衛門
- 菱川師宣
【武断政治から文治政治へ(徳川綱吉)】
- 平和が長く続き、武士は戦いよりも学問や政治を重視するようになる
- 儒学を重視した文治政治
- 生類憐みの令
- 元禄文化を保護・発展させる
【新井白石と正徳の治】
- 生類憐みの令の廃止
- 質の低下した貨幣を改める
- 長崎貿易を制限し、金や銀の流出を防ぐ
- 儒学を重視した政治
→ 経済の発展と平和の定着によって、町人文化や文治政治が発展した。
③ 社会のゆがみが広がる時代(1700年代〜1800年前後)
【改革】
享保の改革(1716〜1745年)
- 徳川吉宗
- 財政立て直し
- 目安箱
- 新田開発
寛政の改革(1787〜1793年)
- 松平定信
- 倹約・統制強化
天保の改革(1841〜1843年)
- 水野忠邦
- 幕府の立て直しを目指す
【改革の背景】
- 財政悪化
- 飢饉
- 百姓一揆
- 打ちこわし
- 農村の貧困
- 武士の生活苦
【教育の普及と新しい学問】
- 寺子屋
- 儒学
- 国学
- 蘭学
【工場制手工業の発達と貧富の差の拡大】
- 工場制手工業(マニュファクチュア)が発達
- 商人や地主が成長
- 農民の中でも貧富の差が広がる
【化政文化(1800年前後)】
- 庶民文化がさらに発展
- 十返舎一九
- 葛飾北斎
- 歌川広重
- 与謝蕪村
→ 商品経済が広がる一方で、社会のゆがみも大きくなり、幕府は改革を繰り返すようになる。
④ 江戸幕府がゆらぐ時代(1800年代前半〜幕末)
【外国船の接近】
- ロシア船・アメリカ船が接近
- 異国船打払令
- アヘン戦争の衝撃
【天保の改革】
- 幕府の力を立て直そうとする
- 株仲間の解散
- 倹約令
- しかし十分な成果を出せなかった
【黒船来航(1853年)】
- ペリー来航
- 開国要求
- 日米和親条約
- 幕府の権威がゆらぐ
→ 260年以上続いた江戸幕府は、外国からの圧力によって大きく動き始める。
この「今どの流れにいるのか」を意識すると、江戸時代はかなり整理しやすくなります。
特に江戸時代は、
- 平和な時代が続いたこと
- 商品経済が発展したこと
- 武士中心の社会にゆがみが出てきたこと
が重要です。
つまり、平和と経済発展によって、江戸幕府の仕組みが少しずつ合わなくなっていったという視点を持つと、改革や幕末への流れも理解しやすくなります。
なお、黒船来航以降の幕末の動きについては、内容が非常に大きくなるため、別の記事で詳しく解説しています。
この記事では、まず「なぜ江戸幕府がゆらぎ始めたのか」という江戸時代全体の流れをつかんでいきましょう。
第1章 幕府を固める時代
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、江戸幕府を開き、長く続く新しい武士の政権を作っていきます。
戦国時代は、多くの大名が争いを続けた不安定な時代でした。
そのため江戸幕府は、
- 大名を厳しく統制すること
- 身分制度を整えること
- 外国との関係を制限すること
などによって、全国支配を安定させていきました。
まずは、江戸幕府がどのようにして260年以上続く体制を作ったのかを見ていきましょう。
1.江戸幕府の成立
1600年、徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利し、全国支配への道を開きました。
そして1603年、家康は征夷大将軍となり、江戸幕府を開きます。
ここから日本は、約260年以上続く江戸時代へ入っていきました。
江戸幕府では、
- 幕府(将軍)
- 藩(大名)
が全国を支配する「幕藩体制」が作られます。
将軍が全国を直接支配するのではなく、各地の大名にも土地の支配を任せながら、幕府がその上に立つ仕組みでした。
幕藩体制とは?
幕藩体制では、
- 幕府=全国を支配する中心
- 藩=各地を支配する大名
という関係になっていました。
ただし、大名は完全に自由だったわけではありません。
幕府は、大名が力を持ちすぎないよう、さまざまな方法で統制していきます。
2.大名の統制
江戸幕府は、戦国時代のような争いを防ぐため、大名を厳しく統制しました。
特に重要なのが、武家諸法度と参勤交代です。
武家諸法度(1615年)
武家諸法度とは、大名たちが守るべきルールです。
勝手に城を修理したり、大きな軍事力を持ったりすることを制限し、幕府に逆らえないようにしました。
参勤交代(1635年)
3代将軍・徳川家光の時代には、参勤交代が制度化されます。
参勤交代では、大名は1年ごとに自分の領地と江戸を行き来し、さらに妻や子どもを江戸に住まわせる必要がありました。
これには、大名に多くのお金を使わせて力を弱めることや、妻や子どもを江戸に住まわせることで幕府への反乱を防ぐという目的がありました。
また、大名行列が全国を行き来したことで、街道や都市の発展にもつながっていきます。
親藩・譜代・外様
幕府は、大名を関係の深さによって分類しました。
- 親藩 … 徳川家の親族
- 譜代 … 昔から徳川家に従った大名
- 外様 … 関ヶ原の戦いの前後に従った大名
特に外様大名は警戒され、幕府の重要な役職につきにくくなっていました。
3.身分制度と人々の暮らし
江戸時代には、武士を中心とした身分制度が整えられていきます。
江戸時代には、武士を中心とした身分制度が整えられ、一般的には「武士・農民・職人・商人」の順に身分がある士農工商が有名です。
武士中心の社会
江戸時代では、武士が政治を行う支配階級でした。
農民は年貢を納め、社会を支える役割を持っていました。
一方で商人は、身分は高くありませんでしたが、商品経済の発展によって次第に力をつけていきます。
この変化は、後の江戸社会の大きな変化につながっていきます。
城下町の発展
大名たちは城を中心に政治を行ったため、その周囲には城下町が発展しました。
特に江戸・大坂・京都は、日本を代表する大都市として大きく発展していきます。
また、参勤交代によって街道も整備され、人や物の移動が活発になりました。
4.鎖国
江戸幕府は、外国との交流を制限する「鎖国」を進めていきます。
背景には、
- キリスト教の広がり
- スペイン・ポルトガルの影響力拡大
などへの幕府の警戒がありました。
鎖国は、一気に完成したわけではなく、段階的に進められていきます。
朱印船貿易
江戸時代の初めには、海外との交流がさかんに行われていました。
幕府は「朱印状」と呼ばれる許可証を出し、東南アジアなどとの貿易を進めます。
これを「朱印船貿易」といいます。
つまり、江戸幕府は最初から外国との交流を完全に禁止していたわけではありませんでした。
家康のキリスト教禁止令
しかし幕府は、キリスト教が広がることをしだいに警戒するようになります。
その理由には、
- キリスト教徒が幕府の支配に従わなくなることへの不安
- スペインやポルトガルがキリスト教を利用して日本へ影響力を広げることへの警戒
などがありました。
そのため徳川家康は、キリスト教禁止令を出します。
島原・天草一揆
1637年には、九州で「島原・天草一揆」が起こりました。
重い年貢に苦しんでいた農民やキリスト教徒たちが反乱を起こした事件です。
幕府は、この一揆をきっかけにキリスト教への警戒をさらに強めていきました。
日本人の海外渡航禁止
1635年、3代将軍・徳川家光は、日本人の海外渡航と帰国を全面的に禁止します。
これによって、日本人が自由に海外と交流することはできなくなりました。
ポルトガル船の来航禁止
さらに1639年には、ポルトガル船の来航も禁止されます。
こうして幕府は、キリスト教を広めていたスペイン・ポルトガルとの関係をほぼ断ち切っていきました。
長崎の出島とオランダ
1641年、オランダ商館は長崎の出島へ移されます。
オランダは、スペインやポルトガルと違ってキリスト教布教に積極的ではなく、貿易を重視していたため、幕府から貿易を許されました。
鎖国体制の完成
こうして江戸幕府は、外国との交流を幕府が管理できる形に制限し、「鎖国体制」を完成させていきます。
ただし、鎖国といっても、完全に外国との交流を断ったわけではありません。
鎖国中の4つの交流ルート
江戸時代にも、次の4つの窓口では外国との交流が続いていました。
- 長崎 … オランダ・中国
- 対馬 … 朝鮮
- 薩摩 … 琉球王国
- 松前 … アイヌ民族
つまり幕府は、
外国との交流を完全に禁止したのではなく、幕府が管理できる形に制限した
という点が重要です。
鎖国の影響
鎖国によって、江戸幕府は外国勢力の影響をおさえ、国内支配を安定させることができました。
また、国内の産業や経済も発展していきます。
その一方で、西洋の情報が入りにくくなり、後に外国との力の差が広がる原因にもなっていきました。
第1章まとめ
江戸幕府は、
- 大名統制
- 身分制度
- 鎖国
などによって、全国支配を安定させていきました。
こうして日本は、戦国時代の争いが終わり、長い平和の時代へ入っていきます。
そして、この平和な時代の中で、商品経済や都市が大きく発展し、町人文化も栄えるようになっていきます。
第2章 経済と都市が発展する時代
江戸幕府によって平和な時代が続くと、日本では農業・商業・都市が大きく発展していきます。
戦国時代のような大きな戦乱が減ったことで、人々は農業の発展や商売の拡大に力を注ぐようになり、都市で暮らす人々も増えていきました。
また、商品経済が発達したことで、武士ではなく町人や商人の力が少しずつ強くなっていきます。
ここでは、江戸時代の「発展」の時代を見ていきましょう。
1.農業・諸産業の発達
江戸時代には、農業技術が発達し、生産力が大きく向上しました。
新田開発
幕府や藩は、新しく田畑を作る「新田開発」を進めました。
これによって耕地が広がり、米の生産量も増えていきます。
特に干拓や用水路の整備などが進められ、多くの土地が新しく農地として利用されるようになりました。
農具の改良と発明
江戸時代には、農業で使われる道具も改良されていきました。
例えば、
- 千歯こき
- 備中ぐわ
- 唐箕(とうみ)
などの農具が広まり、農作業の効率が大きく向上します。
これによって、より多くの作物を育てられるようになり、農業の発展につながっていきました。
また、こうした農業技術の向上は、人口の増加や都市の発展を支える重要な力にもなっていきます。
商品作物の栽培
農民は米だけでなく、木綿・菜種・茶・藍などの、売って利益を得るための作物も栽培するようになりました。
このような作物を「商品作物」といいます。
つまり農民は、「自分たちが食べるための農業」だけでなく、「売ってお金を得るための農業」も行うようになったのです。
問屋制家内工業
江戸時代には、農村で手工業も発達しました。
商人(問屋)が原料や道具を農民へ渡し、農民が家で商品を作る仕組みを「問屋制家内工業」といいます。
例えば、
- 糸
- 布
- ろうそく
- 紙
などが作られていました。
こうして農村でも、商品を作って売る経済活動が広がっていきます。
2.交通の発達
江戸時代には、交通も大きく発達しました。
幕府は全国支配を安定させるために街道を整備し、人や物の移動が活発になっていきます。
この交通の発達は、
- 商業の発展
- 都市の成長
- 商品経済の広がり
にも大きな影響を与えました。
五街道の整備
幕府は、江戸を中心に「五街道」を整備しました。
特に有名なのが、
- 東海道
- 中山道
です。
街道が整備されたことで、人々は以前より安全に移動できるようになりました。
参勤交代と交通の発展
参勤交代では、大名たちが大名行列を組んで江戸と領地を往復しました。
そのため街道や橋の整備が進み、宿場町も発展していきます。
また、多くの人や荷物が行き来することで、商業も活発になっていきました。
つまり参勤交代は、大名統制だけでなく、江戸時代の経済発展にも大きな影響を与えたのです。
宿場町の発展
街道沿いには、「宿場町」が作られました。
宿場町では、
- 旅人の宿泊
- 食事
- 馬や荷物の運搬
などが行われ、多くの人でにぎわいました。
海運の発達
江戸時代には海運も発達します。
特に、
- 菱垣廻船
- 樽廻船
などによって、大坂から江戸へ大量の物資が運ばれるようになりました。
こうして江戸時代には、陸と海の交通網が整備され、日本各地のつながりが強まっていったのです。
3.都市の発展と町人の台頭
農業や商業が発展すると、都市も大きく成長していきます。
江戸・大坂・京都の三都
江戸時代には、
- 江戸
- 大坂
- 京都
が大都市として栄えました。
特に大坂は、「天下の台所」と呼ばれ、全国から物資が集まる商業都市になります。
貨幣経済の発展
江戸時代が進むと、物の売買にはお金が多く使われるようになります。
これを「貨幣経済」といいます。
つまり、米や物々交換中心の社会からお金で売買する社会へ変化していったのです。
この変化によって、商人の力が大きくなっていきます。
株仲間
同じ商売をする商人たちは、「株仲間」というグループを作りました。
株仲間には、
- 商売を安定させる
- 幕府に税を納める
などの役割がありました。
幕府も、商業を管理しながら利益を得ていたのです。
4.元禄文化
経済が発展すると、町人を中心とした新しい文化も栄えていきます。
これが「元禄文化」です。
元禄文化は、豪華で活気のある町人文化として知られています。
井原西鶴
井原西鶴は、町人の暮らしを題材にした作品を書きました。
松尾芭蕉
松尾芭蕉は、俳句を大成した人物です。
『奥の細道』は特に有名です。
近松門左衛門
近松門左衛門は、人形浄瑠璃や歌舞伎の作品を書きました。
菱川師宣
菱川師宣は、浮世絵を広めた人物として知られています。
(図解)
4.武断政治から文治政治へ
江戸時代の初めごろは、戦国時代の名残が強く、武力による支配が重視されていました。
これを「武断政治」といいます。
しかし、平和な時代が長く続くと、政治の考え方も変わっていきます。
徳川綱吉と文治政治
5代将軍・徳川綱吉の時代には、学問や道徳を重視する「文治政治」が進められました。
綱吉は儒学を重視し、礼儀や秩序、道徳を大切にする政治を行いました。
また、「生類憐みの令」を出したことでも有名です。
新井白石と正徳の治
6代将軍・徳川家宣や7代将軍・徳川家継の時代には、新井白石が政治を支えました。
新井白石は、綱吉の時代の政治を見直し、幕府財政の立て直しや政治の安定を進めます。
例えば、
- 生類憐みの令を廃止する
- 質の低下していた貨幣を改める
- 長崎貿易を制限し、金や銀の流出を防ぐ
などの政策を行いました。
また、儒学を重視し、学問や道徳を大切にする政治も進めます。
このような政治を「正徳の治」といいます。
平和な時代の広がり
戦国時代には、「戦う武士」が重要でした。
しかし平和な時代が続くと、武士は次第に、政治や行政を行う存在へ変化していきます。
つまり江戸時代は、「戦いの時代」から「経済や文化が発展する時代」へ変わっていったのです。
第2章まとめ
江戸時代には、
- 農業
- 商業
- 都市
- 文化
が大きく発展しました。
また、平和な時代が長く続いたことで、
- 商品経済
- 町人文化
- 文治政治
も広がっていきます。
しかしその一方で、
- 武士の生活苦
- 貧富の差
- 幕府財政の悪化
など、新たな問題も少しずつ生まれ始めていました。
これらの問題は、後の改革や幕府の動揺につながっていくことになります。
第3章 社会のゆがみが広がる時代
江戸時代には、商品経済や町人文化が大きく発展しました。
しかしその一方で、
- 幕府や武士の財政悪化
- 農民の負担増加
- 貧富の差の拡大
など、社会のゆがみも少しずつ広がっていきます。
幕府はこうした問題を解決しようとして改革を行いますが、社会の変化を止めることはできませんでした。
ここでは、江戸時代後半の「ゆがみ」の時代を見ていきましょう。
1.幕府財政の悪化と三大改革
江戸時代が進むと、幕府や武士たちは次第にお金に困るようになります。
その大きな理由は、「収入は米中心なのに、社会はお金中心になっていった」ことにありました。
武士の生活苦
武士の収入は、年貢として集めた米が中心でした。
しかし江戸時代には貨幣経済が発展し、生活には多くのお金が必要になります。
そのため武士たちは、米を売って生活するようになりますが、しだいに生活が苦しくなっていきました。
また、参勤交代による大きな出費や、飢饉・災害なども、幕府や大名の財政を苦しめました。
2.享保の改革
8代将軍・徳川吉宗は、幕府財政を立て直すため「享保の改革」を行いました。
主な内容
- 倹約の推進
- 新田開発
- 裁判の整備
- 目安箱の設置
吉宗は、幕府の収入を増やし、政治を安定させようとしました。
3.寛政の改革
老中・松平定信は、「寛政の改革」を行いました。
主な内容
- 倹約令
- 農村の立て直し
- 出版の統制
松平定信は、ぜいたくをおさえ、社会を立て直そうとしました。
4.天保の改革
老中・水野忠邦は、「天保の改革」を行いました。
背景には、
- 天保の飢饉
- 百姓一揆
- 打ちこわし
- 外国船の接近
などがありました。
主な内容
- 倹約令
- 株仲間の解散
- 人々への統制強化
しかし、これらの改革は大きな成果を上げることができませんでした。
つまり幕府は、「変化する社会」にうまく対応できなくなっていたのです。
5.百姓一揆と打ちこわし
農民や町人の不満も高まっていきました。
百姓一揆
年貢の負担や飢饉によって、農民たちは百姓一揆を起こします。
特に江戸時代後半には、一揆の数が増えていきました。
打ちこわし
米の値上がりなどに苦しんだ町人たちは、商人の店などを壊す「打ちこわし」を行いました。
これは、商品経済が発展した一方で、人々の生活が不安定になっていたことを表しています。
6.工場制手工業と貧富の差の拡大
江戸時代後半には、「工場制手工業(マニュファクチュア)」も発達しました。
工場制手工業では、多くの人を集めて分業で商品を作ります。
これによって生産量は増えましたが、その一方で、商人や地主が豊かになる一方、生活に苦しむ農民も増え、貧富の差が広がっていきました。
つまり江戸時代後半には、「平和で豊かな社会」の裏で、多くの矛盾も広がっていたのです。
7.教育の普及と新しい学問
江戸時代には、教育も広がっていきました。
寺子屋
町人や農民の子どもたちは、「寺子屋」で読み書きや計算を学びました。
江戸時代には、庶民にも教育が広がっていたことが特徴です。
儒学・国学・蘭学
江戸時代にはさまざまな学問も発展しました。
- 儒学 … 道徳や秩序を重視
- 国学 … 日本古来の文化を研究
- 蘭学 … オランダを通して西洋の学問を学ぶ
特に蘭学は、後の日本の近代化にも大きな影響を与えていきます。
8.化政文化
江戸時代後半には、「化政文化」が栄えました。
元禄文化が上方中心だったのに対し、化政文化は江戸を中心とした庶民文化です。
十返舎一九
『東海道中膝栗毛』を書き、庶民の旅や暮らしを面白く描きました。
葛飾北斎・歌川広重
浮世絵が大きく発展しました。
『富嶽三十六景』などは特に有名です。
与謝蕪村
俳句や絵画で活躍しました。
第3章まとめ
江戸時代後半には、
- 商品経済の発展
- 工場制手工業の広がり
- 町人文化の成長
によって社会が大きく変化しました。
しかしその一方で、
- 幕府財政の悪化
- 武士の生活苦
- 百姓一揆
- 貧富の差
など、社会のゆがみも広がっていきます。
幕府は改革を繰り返しますが、社会の変化に十分対応できなくなっていました。
そしてこのあと、外国からの圧力によって、江戸幕府はさらに大きくゆらいでいくことになります。
第4章 江戸幕府がゆらぐ時代
江戸時代後半になると、幕府はさまざまな問題を抱えるようになります。
国内では、
- 財政悪化
- 百姓一揆
- 打ちこわし
- 社会の不安定化
が進みました。
さらに海外では、ヨーロッパやアメリカの国々がアジアへ進出を強め、日本にも外国船が近づくようになります。
こうして江戸幕府は、「国内の問題」と「外国からの圧力」の両方に苦しむようになっていきました。
ここでは、江戸幕府が大きくゆらぎ始める流れを見ていきましょう。
1.外国船の接近
19世紀に入ると、ロシアやアメリカなどの外国船が日本近海へ現れるようになります。
背景には、世界で貿易が広がっていたことや、欧米列強がアジアへ進出を進めていたことがありました。
ロシア船の接近
北からはロシア船が接近し、日本へ通商を求めるようになります。
幕府は警戒を強め、北方の防備を進めました。
異国船打払令
1825年、幕府は「異国船打払令」を出します。
これは、日本へ近づく外国船を追い払うという命令です。
しかし、外国の軍事力は急速に強くなっており、幕府はしだいに対応が難しくなっていきました。
2.アヘン戦争の衝撃
1840年、中国では「アヘン戦争」が起こります。
イギリスに敗れた清は、不平等な条約を結ばされました。
この出来事は、日本にも大きな衝撃を与えます。
幕府や人々は、「外国の軍事力は非常に強い」ことを強く意識するようになりました。
また、「日本も同じように攻められるかもしれない」という不安も広がっていきます。
3.天保の改革
幕府は社会の混乱を立て直そうとして、「天保の改革」を行いました。
老中・水野忠邦が中心となって進めます。
背景には、
- 天保の飢饉
- 百姓一揆
- 打ちこわし
- 外国船の接近
など、多くの問題がありました。
主な内容
- 倹約令
- 株仲間の解散
- 人々への統制強化
などを進めました。
しかし、人々の反発も強く、大きな成果を上げることはできませんでした。
つまり幕府は、「変化した社会」に対応しきれなくなっていたのです。
4.黒船来航
1853年、アメリカのペリーが黒船を率いて日本へ来航します。
ペリーは幕府に対し、「日本を開国して貿易を行うこと」を求めました。
当時の日本は鎖国を続けていたため、この出来事は大きな衝撃となります。
開国への動き
翌1854年、幕府は日米和親条約を結び、開国へ動き始めます。
しかし、外国と貿易を進めるべきか、それとも外国を追い払うべきかをめぐって、国内の対立はしだいに激しくなっていきました。
また、幕府が十分に外国へ対抗できなかったことで、幕府の権威も大きくゆらいでいきます。
第4章まとめ
江戸時代後半には、
- 社会のゆがみ
- 財政悪化
- 外国船の接近
などによって、幕府の支配が不安定になっていきました。
そして黒船来航によって、日本は大きな転換点を迎えることになります。
このあと日本では、
- 開国
- 尊王攘夷運動
- 薩長同盟
- 大政奉還
などが起こり、江戸幕府は滅亡へ向かっていきます。
なお、黒船来航以降の幕末の流れについては、別の記事で詳しく解説しています。
まとめ 江戸時代は「安定」と「変化」が続いた時代
江戸時代は、1603年に徳川家康が江戸幕府を開いてから、約260年以上続いた長い時代でした。
長く平和な時代が続いたことで、農業・商業・都市・交通などが大きく発展し、元禄文化や化政文化のような町人・庶民文化も栄えていきます。
その一方で、幕府や武士の財政悪化、百姓一揆、打ちこわし、貧富の差の拡大など、社会のゆがみも少しずつ広がっていきました。
つまり江戸時代は、「安定した平和の時代」であると同時に、「社会が大きく変化し、矛盾も広がっていった時代」だったのです。
そして19世紀になると、外国船が日本へ接近し、黒船来航によって江戸幕府は大きくゆらぎ始めます。
このあと日本では、開国や尊王攘夷運動、薩長同盟、大政奉還などが進み、江戸幕府は滅亡へ向かっていきます。
つまり幕末は、「突然始まった事件」ではなく、江戸時代の社会の変化や幕府のゆがみの延長線上にあったのです。
江戸時代を理解すると、なぜ幕末や明治維新が起こったのかも見えやすくなります。
なお、黒船来航以降の幕末の流れについては、次の記事で詳しく解説しています。


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